思い出に残る商談「若気の至り」【メールマガジン】

前回のメルマガに引き続き、今回も約20年前の商談をご紹介します。それは、ある医療機関へのアウトソーシング提案の商談です。
その医療機関は、一日の外来患者数が1,000名強と地域では一番の医療機関でしたが、
その当時ITはほとんど導入されていませんでした。そのような状況でしたので、医療機関内で経営陣、ドクター、看護師を含めた11名の「コンピュータ導入選考委員会」が設置され、ベンダー選択のための調査や検討を進めていましたが、キーマンはドクターからも一目置かれ、陰では「天皇」と呼ばれていた当時の専務理事であることは明らかでした。

当然、競合する他社もその情報はつかんでいたので、各社が様々な手段を使って専務理事へ営業攻勢をかけていました。A社は日常交流のある地元経済団体のトップを介して専務理事に接触を始め、またB社は地元の政財界に影響力を持つ名士を通じて営業活動をしていました。そんな他社に比べて、特別なコネも人脈も政治力も無い弊社は、不利な商談であることは覚悟の上で真正面から営業活動するより方法がありませんでした。弊社の営業と技術のスタッフは、その医療機関の現場へ地道に接触し、私は医療機関の業務を理解するために医療事務の研修も受けました。

さらに、断られることを承知でキーマンである専務理事へ、直接営業すべく面会の申し込みもしました。私の予想に反して専務理事への面会は叶ったのですが、部屋に案内されても専務理事は机について仕事に没頭されており、こちらから話しかけられる雰囲気などは
まるでありませんでした。意を決して私が何か言いかけると「まだ何も決まっていない」と返答されるのみで、ただ時間だけが過ぎ、どうにも気まずくなった私は「また来ます」と伝えて初めての面会は退席しました。しかし、それでも再度、再々度と面会の申し込みは続け、話しらしい話もできないまま3度目の専務理事との面会の際、秘書の方が紅茶を出しくれたことが印象に残っています。

各社が見積提案書を提出し何日か経った後のことです。突然、専務理事が会社に寄られ
ました。「今回は選考の結果、わずかな差で相手の企業に決まりそうなので、君のところには悪いがあきらめてほしい。その代わり、数年先には病院が移転する予定なので、その時には君のところへ発注するよう努力するから。」と言われました。地道かつ真正面からの営業活動の結果、次のチャンスをもらったと考えられなくもありませんが、どうしてもこの商談を受注したい思った私は、とっさに「それは専務理事が生きていての話でしょう」と言ってしまいました。その言葉が口から出た瞬間「しまった!」と思いましたが後の祭りです。怒られるだろうと思っていましたが、専務理事の言葉は意外でした。「君の言う通りだ。もう一度提案書を持って来い。」と言われたのです。

第二回目の提案説明会を終え、最終選考の結果わずかの差で弊社が受注することに決まり
ました。今から思い返すと、先方に怒られないでよく受注できたものだと思います。
しかし、その医療機関へ採用いただいたアウトソーシング運用が稼動する前に、専務理事は病の床に臥されて亡くなられてしまいました。どうしても受注したいという思いが強かったがための「若気の至り」とは言え、言ってはいけない言葉を発し、現実にそのようになってしまったことで、この商談には特別な思いがあります。
私にとって生涯忘れることのできない商談です。

           アスクラボ株式会社 CEO 川嶋 謙